バブル経済その2

前回はバブル経済の発生から崩壊までの流れを簡単に説明しました。

実は身近なところでも小さなバブルが発生していると理解していただけたでしょうか。

自分たちには関係ない歴史上の出来事という認識ではなくなってくるかもしれませんね。

今回は特に日本の1990年前後に発生したバブルについて掘り下げていきます。

 

プラザ合意


1985年にドル高を是正するために先進5か国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本)が為替レートの安定化について話し合いました。

話し合いの結果[su_highlight background=” #ffff00 ” color=”#000000″ class=””]円高・ドル安に誘導される[/su_highlight]こととなりました。

この合意の事を、開催場所となったニューヨークのプラザホテルの名前からプラザ合意と呼ばれています。

そもそもこのプラザ合意というのは、アメリカの貿易赤字の縮小を目的としています。

当時のアメリカはドル高により輸出が減り、輸入が増えていました。

これは為替の記事でもご紹介していますが、アメリカ製品が高くなり、輸入品が安くなるためです。

そこでドル安方向に誘導することにより[su_highlight background=” #ffff00 ” color=”#000000″ class=””]アメリカにとっては貿易赤字が縮小方向へ[/su_highlight]と進んでいきます。

一方、日本の立場で考えるとアメリカとは全く逆になります。

つまり円高方向に誘導されることによって[su_highlight background=” #ffff00 ” color=”#000000″ class=””]輸出産業がダメージ[/su_highlight]を受けてしまうわけです。

 

日本の対応


日本は円高進行を止めるために金利の引き下げを行いました。

金利が下がるということは、厳密には異なりますがここでは預金金利が下がるというイメージで構いません。

つまり日本円を持っている旨味が減りますので、円を手放す人が増えて価値が下がり円安方向に進むという仕組みです。

金利が下がると融資が受けやすくなります。

この結果、企業は積極的に融資を受けて投資を行っていきます。

そうして[su_highlight background=” #ffff00 ” color=”#000000″ class=””]市場に出回るお金が増える事で物価が上昇[/su_highlight]します。

この当時の日本は物価が上昇し続け、経済が急激に成長している感覚になっていました。

バブル時代の話としてよく耳にするのが

・タクシーでワンメーターの距離でも1万円支払っていた

・ボーナスが年間4回あった

・就職活動で内定が出た学生を確保するためにハワイ旅行に連れて行った

等ですが、今では考えられないまさに景気が良い話ですね。

 

まとめ


為替の調整が原因で日本のバブル経済は発生しました。

当時は勢いがあり暮らしも今では想像できないくらい豊かであったそうです。

この後、日本経済は暗い時期を迎えていくことになります。

次回はバブル崩壊に向かう流れについてお話ししていきます。