バブル経済その3

前回は日本のバブル経済の成り立ちから当時の様子などを掘り下げていきました。

今ではとても考えられないようなお金の使い方がされていた時代でしたね。

今回はそのバブル最盛期から崩壊に向かう流れについてお話ししていきます。

 

株式市場・不動産市場の下落


バブル最盛期には日本中のお金の流れが良くなり、物価が上がっていた状態でした。

日経平均株価も上昇し続け、不動産市場でも地価の高騰が発生していました。

1989年の末に38,915円の史上最高値を付け株価は、1990年の年明けの予想ではほぼ全ての証券会社が年末には40,000円を超えると予想していました。

また、投機目的の不動産売買から、土地の価格は下がらないという不動産神話まで産まれていくのです。

ところが、実際には1990円にはいると株価は急激に下がり続けます。

要因としては日本の政局不安や日米構造協議への不安、日銀による金利の引き上げ、湾岸戦争等があげられます。

さらに、政府は不動産向けの融資規制を行いました。

これにより過熱していた不動産市場も下落し始め、低迷期へと向かっていくことになります。

 

金融機関の経営破綻


バブル崩壊の象徴として良く取り上げられるのが北海道拓殖銀行、山一證券の大手金融機関の経営破綻です。

北海道拓殖銀行は北海道を地盤とする都市銀行でした。

今に置き換えると三菱UFJ銀行やみずほ銀行、三井住友銀行等が破綻するようなものです。

山一証券も野村證券、大和証券、日興証券とならぶ四大証券会社の一角でした。

また、バブル崩壊後の景気回復を大きく遅らせた原因の一つには、[su_highlight background=” #ffff00 ” color=”#000000″ class=””]銀行の不良債権問題[/su_highlight]というものがあります。

不良債権とは銀行が貸付をしているものの、回収できなくなったお金のことです。

そもそも、銀行は貸付をする際には担保を設定します。

すまり、返済できなくなった場合には担保とした土地等を差し出すことで損をしないように契約をするのです。

ところが、バブル当時は将来的な地価の上昇を見越して、現在の担保価値以上にお金を貸すようなやり方が横行していました。

これでは担保の意味をなさないため、地価が下がると当然銀行はダメージを受けることになります。

このダメージをなんとか最小限にとどめるために[su_highlight background=” #ffff00 ” color=”#000000″ class=””]貸し渋りや貸しはがし[/su_highlight]を行ったことが

「銀行は晴れの日にむりやり傘を貸し、雨が降ったら取り上げる」という言葉を生み出したのです。

 

まとめ


バブル崩壊後の日本は失われた10年と呼ばれ、経済の低迷が続きました。

それが20年、30年と経済回復には時間がかかっています。

株価だけで見ると回復の兆しは見えているようですが、実体経済は追い付いているのでしょうか。

今より豊かに生活できる時代が来ると良いですね。